日記的。

「あめあめ、ふれふれ、かあさん……」

左手に10.5キロの娘、右手には傘を持って保育園に向かっていると、向こう側から人がフェンスを乗り越えようとしてきた。保育園の先生だった。

笑顔がウリなはずの先生たちの中でウリが見えない先生で、この人に娘を預けるのはちょっと、と気になっていた。

朝も夕もウリのない先生。夫にもそんな人がいるんだよ、と悪口ぎみで言っていた。「仕事がつまらないんだろ」と返ってきて、新米なのかな、そんな人に娘はどんな対応を受けているんだろうとますます気になるのに任せるしかない立場で何も言えない。

だけど、何かしたくて娘のオムツに書く名前といっしょにニコちゃんマークを入れて、こちらもウリを全面的に出す作戦を細かく実行していた。

娘は毎朝泣いた。最初は泣くものだよ、だんだんわかってきたんだね、そう言われても辛かった。泣かないように、泣かないように、毎日念じたけれど届かなかった。

はやく迎えにいかなきゃ、と仕事帰りに電車を降りて急いで保育園に向かっていると直前の横断歩道で、その先生とすれ違ったことがある。気づいたときはもう私の右後ろにいて、急いで「あ、お疲れさまですっ」と声をかけたら、逃げるように行ってしまった。

おつかれ、という言葉は取り憑かれるみたいだから使わないようにしていると高橋一生さんがテレビで言っていたのにとすぐに悔やんだ。それからもずっと、娘と先生の笑顔を探した。

慣らし保育を終えていよいよ本格復帰の朝、娘に「今日は17時に迎えにくるからね」と言い聞かせていると、なぜかその先生が「17時かぁ」と心の声を発した。お前が言うなよ。その朝も、もちろん娘は泣いた。

さすがに腹が立って、子育てエキスパートの友人に話したら、それは私の罪悪感を消すために私の人生劇場にその人が登場してくれたんだと言われた。

「子どもが泣くのは親が泣いてほしいと思ってるからだよ」とサラリと言われた。グサリ。保育園に預けるなんてかわいそう。専業主婦の母の声がよぎる。罪悪感を心のどこかで楽しんでいる自分を卒業するため、次の日からめいいっぱいの笑顔を娘に見せて出勤することにしたら、娘は泣けばいいのか、それとも笑顔がいいのか判断しているようなビミョーな顔で手を振るようになった。

娘が泣くのは私の気持ちが定まってないからと友人は言った。それからは毎朝、「今日もおかあさん、お仕事たのしんでくるね! いってきまーす」とオーバーリアクションで手を振ると、娘は、もう泣かなくていいのかなと不思議そうにしていた。泣いても私が見えなくなると声はやんだ。

そして今朝。出勤前のあの先生と出くわした。「お近くなんですか」とこちらから話題をふると苦笑いで「いえ、遠いんです」と。

わざわざ遠くから雨の日も来てくれてるんだ。それならフェンスを乗り越えたくなる気持ちはよくわかる。車道の拡張工事で駅からの一番早い抜け道が半年も塞がれている。「ここ、大変ですよね、完成は夏前らしいですよ」「えー、そうなんですか」そんな会話をしていっしょに保育園に入った。

夕方、迎えにいって連絡帳に目を通すと見たことのない名前で娘の今日の様子が書かれていた。雨だから室内にボールプールを作って、それにえらく喜んでいたと。うれしくて、「そうなんだ」と小さく声にだしたら、そうなんですよと答えたのは、その先生だった。笑顔だった。

自宅に戻って急いで晩ごはんを作っている最中に娘が泣いても、あったかいごはんをうまいタイミングで食べさせられなくても今日の私は笑顔でいられた。

なぜだろう。あの先生が笑顔だったから? そんな気がした。保育園に預けることが不安だった。かわいそうな思いをさせていないか、こんな働き方でいいのか、私はどうなりたいのか、ずっと考えていた。娘がミルクを卒業したあたりからずっと。

友人が言ったように、子どもは親のために泣く。不安なときには不安そうにする。気分がいいときはいっしょに明るくしてくれる。ってことは、ぜんぶ私が決めてるってこと? 今日は娘が泣いてもこれにはきっとワケがある。私のせいじゃないと思えた。そうすると、すぐに泣きやんで、またごはんを食べ始めた。

先生は笑顔だった、気がする。だけど顔は見ていない。そんな気がするのだ。笑顔がないと思ったのもわたし。最初から何も変わっていなくて、変わったのは私の気持ち。すべて私の心が決めるんだ。

仕事がつまらないと思うのも、新米だから笑顔になれないと思うのも、ぜんぶ思う人の自由。思いたようにしか思わない。

罪悪感を見ないフリをして保育園の先生にウリの笑顔を求めていたのもわたし。人に期待しているときは、自分に絶望しているとき。自分に期待しよう。ウリじゃなくてホンモノの笑顔を見つけよう。それだけで、ぜんぶが大丈夫になる。そう気づいたうれしい日。

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