目の前におる人の心をつかめ。おじいちゃんが死んでやっとわかった。

「近くに寄ったら、顔くらいださんか」

「刺身の花は、飾りやない。しょうゆに散らさんか」

「トイレットペーパーは三角に折らんか」

 

あーいやだいやだ。おじいちゃんの小言は聞きたくない。めんどくさい。そんなことしなくても、生きていける。

 

一代で会社を作ったワンマンなおじいちゃんは、とにかく礼儀作法にうるさい。子どもながらにイヤだった。お父さんもお母さんも、わかっちゃいるけど、みたいな雰囲気で、なるべくおじいちゃんの家には行かないようにしていた。
あんな風にイチイチ言ってくるのは、単にさみしがりやだからだと、家族全員が思っていた。自分の力を見せつけたいだけなんだ、学歴もコネもないところから、ここまで会社を作った過去にしがみついてるだけなんだ、そんなおじいちゃんの言うことなんて、ただの昔話だ。そう思って、気にしないことにしていた。むしろ、その逆のことをしてやろうと意地になっていた。
 

その気持ちは大人になってからも変わらなくて、社会人になっても、結婚してもおなじだった。だけど、2年前におじいちゃんが死んだとき、なぜかものすごくこみ上げてくるものがあって、最後のお別れのとき、おじいちゃんにしがみついて、「ありがとう……!  ありがとう……!」と泣き叫んだ。

 

それが何だったのかは、そのときもわからなかった。単に、おじいちゃんとの子どもの頃の思い出がよみがえってきて、それに対する感謝の気持ちだと思っていた。

今日、2年ぶりに友達が遊びにきた。私に子どもができてから、なかなか会えていなかった。忙しい仕事をしているから、ラインもぜんぜんしなかったし、それでも縁が切れるとは思っていなかったから、流れに任せていたら今日になった。

 

声のトーンは低めで音量も小さい。だけど、人の動きや気持ちの変化をすぐに感じてくれる。2年前も、こんな感じだったんだと思うけど忘れていた。電車を3回も乗り継いで来てくれた。その手には、出町ふたばの大福と娘へのプレゼントと私への心づかいの大きな袋が下がっていた。

 

気づけば4時間が経っていて、たくさん買ってきてくれた大福をおいて、手をふって帰っていった。旦那さんが帰ってきて、それを食べた。「うまいわぁ」と言った。「そうだよね」と返した。

 

おじいちゃんを思い出した。こういうことなのかもしれない。「人の家に行くなら、気の利いたものを持っていけ」「つめ跡を残してこい」おじいちゃんから聞くと、あまりにも下心が丸見えで、カッコ悪いと思った。だけど、大福がとてもおいしくて、また食べたいと思ったし、ありがとうって気持ちがハンパなくて、それって下心でもなんでもなくて、単に喜んでもらおうと思っただけのことなんだと気付いた。

 

おじいちゃんが言ってたのは、「人が喜ぶことをしろ」ただそれだけだったのに、下心なんてカッコつけてたのは、世間を知らない私の方だった。

 

たくさん苦労して、たくさん悔しくて、たくさん勉強した、おじいちゃんだから言えること。誰よりも一番になりたかった、おじいちゃんが出した答え。それを私たちに無料で教えてくれてたのに、なーんにも知らないくせに、知ったかぶりをして無視してた。おじいちゃん、ごめんね。やっと、わかったかもしれない。

 

目の前にいる人の心をどれだけつかむか。それに集中してみるよ、わたし。

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