日記的。

「あみあみ、これ見てみ」

彼女のエッセイを書き上げてから1週間後、メッセージがきた。

チャンスの神様とは、ぜったいに友達になれないはずだった〜前編〜

そこには心理カウンセラー心屋仁之助さんのブログのリンクが貼られていた。彼女は彼の英語の先生で、来月から新しいカリキュラムをスタートするために自己紹介が必要だと聞いていた。

だけど、私の書くものはエッセイ。本人の人生をぎゅっと凝縮した小説のようなもの。それでいいのか確認したけど、彼女はとりあえず私が書いた、自分が主人公のエッセイが読みたい、それを読んで自己紹介は自分で書くと言っていた。

ブログには彼女の紹介ページもリンクされていて、そこを見て欲しいのだろうか。ポチッ。そこには見覚えのあるタイトル。1週間前にヒィヒィで書き上げたエッセイの全文。そして、最後に書いてなかったはずのあたらしい一文が追加されていた。

「ライター森中あみ」私のブログのリンクと共に。

私のエッセイを自己紹介に使ってくれたんだ。こんなにあっけないものなんだ。ずっとずっと、いつかいつかって思ってきた。それがこんな形で年明け早々、1週間前にインタビューした人がめぐり合わせてくれるんだ……。

それから彼女がいく先々で、「あの自己紹介は泣きました」とコメントをもらったこと、「感動したから、友人にも転送したらブックマークしたらしい」と言われた話を毎回わたしにメッセージをくれた。彼女の友人が自分も同じように書いて欲しいと依頼してくれたり、無料で書くはずだった知り合いにも仕事ととして発注してもらえることになった。

またあのリンクを開く。「ライター森中あみ」じっとそこだけを見る。「ライター森中あみ」「ライター森中あみ」あぁ、もう私ライターなんだ。

「すごいよ、カリスマだよ、才能あるよ」彼女に言われると、謙遜するのがバカらしくなる。本気で言ってくれてるのがわかるから。どうして私は今まで自分にこの言葉をかけてあげられなかったんだろう。怖かった。恥ずかしかった。自信がなかった。

それを彼女はぜんぶ取っ払ってくれた。ホテルのロビーで1500円のお茶を飲んだり、昼からラム酒入りのコーヒーを飲んだり、帰りに気に入ったコートを買って帰ったり。なにこの時間……! でも、めっちゃ楽しい!

気づけば私は発言が変わり、考え方が変わり、私はこう思ってますと誰にでも言いたくなっていた。ずっとそんな人になりたいと思っていた。自信さえつけば、そうなれると思ってた。でも、私はライターですっていつまでたっても言えなかった。見る人が見てくれたらいいと思ってた。結局、自信がなかった。それだけ。

だけど、突然現れた人がすばらしい! とほめてくれて、身銭を切って証明してくれて、さらにそれが有名人にシェアされた! この人がチャンスの神様でなくて、なんなの!

「あみあみは、いっつも悔しがってるよね」

グサッ。また言われた。だけど今度は大きな声で笑ってしまった。たしかに! 悔しい、悔しいで生きてきた。だからずっと苦しかった。

エッセイを書き上げる途中で、悔しいから楽しいに変わったと彼女がいった。答えを聞いた気がして、タイトルにした。悔しいときって、周りの正しいはわかるのに、自分の楽しいがわからないとき。本当の自分はこんなんじゃないって思ってるくせに怖くて家に閉じこもっているとき。自分が行きたい場所なのに、そこをバカにしているとき。彼女も過去に今のわたしと同じ気持ちでいたんだ。

寒い冬の晴れた日、娘のベビーカーを押しながら鴨川沿いを2人で歩いている時、彼女が言った。

「1ミリくらいしか変わんないんだろうけどね」

叶えたい未来を大きな声で言える人と今に満足したフリをして黙っている人との違いってなんだろうねと私が聞いたら、3秒後に返ってきた答え。

やってみればいい。そう言われてもできなかった。ずっと悔しがってた。それは自分はこんなんじゃない、もっと大きなことができる、そのための実力はまだないって、未来を勝手に巨大化してただけ。

1秒先はもう未来。変えようと思えば、今立ち上がって、食べるものを変えたり、言いたかったことをSNSで発信したり、未来の自分になったつもりで行動したりできる。それをやるかやらないの差って、1ミリしかないんだ。1秒先の未来はたった1ミリの差。

誰かの吐き出せない思いを文字にのせて浄化させたい。私の書きたいものはこれだ。「人生の毒出しエッセイ」を思いついた。毒は隠さなくていい。「悔しい気持ちが、あみあみの持ち味でしょ」と彼女が言ってくれたから。私が隠そうとしていたことをグサグサ言ってくれたのは、いいところだと思ってくれてたからなんだ。

吐き出すのは怖い。だけどそれを知っても友達でいてくれる人があなたの周りに集まってくる。心地よい空間。それは人生のステージがあがること。

自分でなんとかしようと思ってもできなかった。彼女がいなければ、私は今日も雪だからと娘と家の中でじっとテレビを見ていただろう。それが今は、せっせと毒出しエッセイの仕事をしている。「こんな仕事、他にないよ」「あみちゃんのやっていることは、すばらしいよ」って彼女以外からも言ってもらえるようになった。

私にやっと自信を持たせてくれた人をがっかりさせたくなくて、毎日発信する言葉も「カリスマライター森中あみ」として選ぶようになった。

ふたりで高みに登っていこう。今、本気で笑いながらそう言いあってる。チャンスの神様は、私にとって……うーん、なんだろ、友達? それも違うな。同志? あ、神様か。神さまは神様だね。

「自由に働くママの見本になります」って、2年前の元旦にお願いしたんだ。そしたら、その月に娘がお腹の中にきてくれて、今年はホントに神様が姿を変えて来てくれたんだ。そう思ってる。

Chance favors the prepared mind.

チャンスは準備している人をひいきする。

私を全国に紹介してくれたあの日、彼女が私にくれた言葉。ずっと見ててくれたんだ。そうだよね、私がんばってきたもん、いつかいつかって準備してきたもん。

チャンスの神様は突然現れる。遠慮なく何でも言う。距離をおこうとしても向こうから近づいてくる。怖くて逃げ出そうとする私の腕を引っ張って、えいって外の世界に放り出した。自分だけの世界に閉じこもってちゃ、いつまでたっても変わらないよ、さっさと行け!って。

怖がってた外の世界は、明るかった。トンネルをぬけて光が見えた感じ。見えなかったもの、見ないようにしてきたものが見える。まぶしい。まだ目が慣れてないから。

でも、見たい。もっと見たい。神様が教えてくれた私の才能を使い果たした先に待っているものを見たい。誰かが抱えてる悔しい、悲しい、辛い気持ちを隠さずにそのまま出したい。悔しい気持ちを吐き出せば、光になる。それがチャンスに変わるってわかったから。

たった一人で放り出されたんじゃない。私を引っ張ってくれたその手は、手を伸ばせばまたいつでもにぎってくれるって信じてる。でも私はいじっぱりだから、自分でできるとこも見せたい。そして今度はわたしが誰かのチャンスの神様になりたい。

ありがとう。ありきたりな言葉だけど、私を見つけてくれてありがとう。これまで、私を認めてくれた人はたくさんいたけれど、自分の身をもって「この人はすばらしい」と世の中に発信してくれた人。それがチャンスの神様。私と彼女の物語。

物語はこれからもつづく。いつだって、人生はものがたりだから。

はぁ……パワー使ったわぁ!

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