読ませたいは、つまり、伝えたい。

たまには思いのままに書く日があってもいいかなと思う、っていうか、こんな風につらつらと何を書くでもなく、でも残したい、手は動く、思いはめぐる感覚が私は好きなんだと思う。

「読まれる文章を書くためには」

ライティング講座でたたきこまれた。「書くことがすき」それだけでは到底タチウチできない、プロのプロによるプロになるための講座だった。プロってなんだろう。

「ライティング講座、開いてみようかなぁ」

夫に言ってみた。私のやりたいことは応援してくれる一方、踏み外さない責任感をもった男。やさしい男。だけどちょっぴり私に甘える夫。4年前にはじめて通った朝活ライティング講座も夫のススメだった。寒い中、朝6時に起きて8回の講義を一日も休まずがんばった力試しにサントリーのエッセイに応募してみたらとススメてくれたのも夫だった。

ちょうど講座の先生の誕生日が近く、5名の生徒がそれぞれ先生の名前の頭文字から始まる文章をプレゼントに書くことになっていた。私はたまたま「や」の担当になり、「山崎を飲む男」のペンネームで応募する作品を先生へのプレゼントにした。

1月だったから成人式がテーマで、社会人3年目の夫が、ひと回りも年の離れた先輩と北新地で飲み明かした実話を書いた。うまくいかない仕事への不安をグチに変え、二件目で後輩にウイスキーの飲み方を教える。たまには弱音をはきたい、だけどさいごまで先輩でありたい。当時の先輩と同じ年になった夫が家族を持ち、あの頃の先輩への思いをめぐらせる。

2週間後、夕方イオンで買い物をしながら夫を待っていたら、向こうからニコニコしながら近づいてきた。「おめでとう! すごいね」一瞬何のことかわからなかった。登録していた夫のメールアドレスに入選の知らせが届いていた。

数日後の休日、山崎と印字されたペアグラスが届き、ピンク花束と一緒に夫が写真を撮ってくれた。その夜は、結婚1周年のお祝いにレストランを予約していて、キレイに盛り付けられたお皿を眺めながら、入選の喜びもほんのり一緒にかみしめる、いい時間だった。

酔い覚ましにちょっと歩こうかと河原町のほうに足を伸ばすと長蛇の列。十日恵比寿だった。吸い込まれるように流れに乗った。見上げれば真っ暗なのに、そこにいる人たちの興奮でなぜか明るく感じる中、「もうこれだけでご利益がありそうな気がする」と思いながら手を合わせた。やさしい夫は商売をしている私の実家のためにと、金の舟を買ってくれた。

それから私はすこしずつブログを書きためるだけでは、どこかくすぶる思いを消化できずにいた。書くことはすきだ。たぶん他の人よりも書ける。だけど、これをどうしたらいいのか、わからない。入選したエッセイは母や妹、先生にもずいぶんほめられた。「自分にとってはふつうのことを誰かに褒められたら、それは才能だよ」と聞いたことはあるけれど、どこかで私は逃げていた。

「試しにちょっと書いてみたら、入選しちゃって」そんな感じなら、これから先もやっていける。自信をなくすことなく。だけど、そんなことは許してくれない人に出会った。エッセイが入選してから3年も経っていた。その人に尻をたたかれまくってライターになった。

人を書くのがすきだった。文章なんて、人以外にあるのか、あぁ食べ物は人じゃない。だけど、それを作ったのは人。なぜそれを作ったの? どうしてその材料を選んだの? どれくらい時間をかけた? どれくらい満足している? あわせる飲み物は何がいいと思う? それはなぜ?

質問はとめどなく出てくる。それくらい人がすきだ。そう、私は人がすき。気になる。どうしてって聞きたくなる。正解とかじゃない、好き嫌いはあるかもしれないけど。ただ単純に、なぜ? を抑えられない。

それを突き詰めていくと、なぜその行動をとったのか、なぜ今そう思うのか、どんどんひも解かれていく。それがストーリーになる。なるというか、なっている。一から作る物語じゃなくて、すでにあったものをストーリーにしていく。ストーリーライター。人生を書くから、ライフストーリーライター、かな。肩書きはなんでもいい。とにかく私は人が書きたい。

講座を開いてみたいと思ったのは、書くのが苦手だからと私にエッセイを頼んだクライアントさんが私の文章を読んで、書けるようになったことから。

これのすごいところは、書きたくなかった人が「書こう」という気になって、「書いて」、「書き上げた」ところ。書くってとても労力がいるのです。向き合わなきゃいけないなから。だから、やってみたいと思った。人を書く気にさせられるなんて、すばらしいじゃないですか。

その思いを持って、夫に伝えたところ、「ちょっと違うんじゃない」との答え。理由は、「私はまだ書き手として有名ではない。つまりプロではない。だから、私ごときが書く文章なんて、自分にも書けるんじゃないか」という相手の軽い気持ちに乗ってはいけないと。

(今なんと……? ちょっと待てい!)そうですか。なるほど。では、あなたは有名な書き手の文章を読んで書きたいと思ったことはありますか? いいえ、ありません。ですよね、では単純に何か書きたいと思ったことはありますか? ありません。はい、わかりました。そういうことです。あなたには書きたい気持ちがそもそも無いのです。あなたは話すのが得意だから、書く方には重きをおいてませんね? はい、そうでした。最後に、あなたにとって有名な書き手とは誰ですか? ……わかりません。(すみません)

約3分ほどの夫婦の会話はここでおわった。あまりにも言われたくないことを一番言われたくない人から言われた結果、まくしたてて論破するはずかしいことになった。

落ち着いてから、想像してみた。夫みたいな人が書くんだったら、何を書くんだろう。自分で書くことのすごさ、すばらしさ、人を感動させる、(たぶん、話すよりも)と知ったら、どうなるんだろう。

そんな人のための講座ができたら、いいな~なんて。書きたくない、書くなんてムリ、書くことない。そんなあなたにこそ、私のライフストーリーエッセイをプレゼントしたい。あなたは感じてきた。それがこの文章を生んだ。あなたの人生はすばらしい! つまり、あなたはすばらしい! と夫に言ってあげたい。あなたの実話がはじめて入選したんだから。

ここまで熱く書いてるあいだ、ずっと奥歯を噛締めていることに気づく。これがプロってことじゃないのか。書くことで人を動かせると実感している。

書く気がない人は、読む人のことを考えてないからだと思う。講座でもそこが一番重要でむずかしいと教えられた。そもそも読ませたい人なんていないし、好きに書くのが文章だ、みたいな。その気持ちはよぉくわかる。そんな風にさらっと書けて満足できたら気持ちいいよね。

だけど、やっぱり書いたら読んでほしい。感想が聞きたい。書いてるうちに伝えたいことがわかってくるから。その時、読んでる人がはっきり浮かんでるはず。

読ませたい相手がいて、その人のことを一生懸命考えて、読んでいるところを想像して書いたものは読まれる文章になる。感想を聞いて、それが快感になって、また書きたくなる。

読ませたい人はたった一人でいい。講座の初回はその相手が誰なのか、考えるところからスタートしよう。読ませたい人は、伝えたい人。

さて、夫の相手は私でいいかしら。

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