東京を生きる。

荻窪駅の改札を小走りで抜ける。「丸ノ内線……丸ノ内線……」と行きに乗ってきた路線を探す私の目に先に入ってきたのは中央線快速の文字とオレンジ色だった。そっか、こっちか。

怪しいと思われても仕方のない話だけど、一ヶ月くらい前から上の方から操られてる感覚が当たり前になってきた。もちろん、目に見えない何か。わかりやすく言えば神様。だから、神様にお礼を言ってエスカレーターを駆け上がる。うん、わかったよ、ありがとう。

東京行きの車内は人がギリギリ座れるほどだった。ちょうど空いた席に大きなカバンの空気を抜きながら座る。

学生時代に住んでいた中野を思い出した。こんな懐かしい記憶まで引っ張り出せるなんて、神様は粋なことしてくれる。ついさっきまで参加していた3時間半のトークイベントの終盤は「感謝」だったから、何でも結びつけてみる。

やっぱりそうなるのか。だけど、すこしがっかりだ。感謝なんてしたって、世の中渡っていけないのに。親の口ぐせだった「謙虚が一番」のせいで、人に勝つことや目立つことを避けてきた。だから私は今でも中途半端なんだ。

もっと自分ファーストにならなきゃ。人を傷つけたっていい。神様だって私が満足なら許してくれるはず。だから最近よく私の前に出てきてくれるんでしょ? そう思ってたのに、なんだよ感謝って。

とはいっても、なんだか気持ちがいい。だって、体はお金をいくら積まれても誰にもあげないし、目も見えるし、足が動くからこうやって東京にも来れるわけだし、娘と過ごしている旦那さんにも、感じられる心にも、たわいもない話ができる友達にも、感謝なんてしようと思えばいくらでもできる。なんなら、今すぐに幸せになれるんじゃん。

神様に操られている気がしている私が参加したトークイベントは、女性だけができる祈りがテーマだった。そこで神の声を降ろせる人がオトを披露してくれた。日本有数の音響設備が整っているホールで、その声はマイクを使わずに1000人の頭の上から降り注いでくるようだった。

感想を聞かれた人が耳からじゃなくて脳天から聞こえたと何度も興奮ぎみに言っていた。頭の上にある百恵というツボのあたりは、あかちゃんが生まれてから一ヶ月くらいは開いている場所で、神の声もそのあたりが開いていないと聞こえないものらしい。

そうか。感謝の気持ちもそれに似ているかもしれない。スマホをカバンに片付けて、目を閉じてみる。頭の上の方を開いて、上の方に話しかけた。

それは10秒くらいだったんじゃないかと思う。ある人の名前が浮かんできた。ついさっき、しまったばかりのスマホを取り出し、検索。やっぱりそうだ。明日は彼女の命日だ。

彼女が私に話しかけてるんだ。ライター雨宮まみ。去年の夏、私は彼女について書いていた。

亡くなった人が降りてきていると思うのは、おこがましいですか?

どうして? でもうれしい。もう少し話しましょうか。ゆっくり、じっくりと。

私、思うんです。公表されたのは明日だけど、ほんとは今日ですよね。

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