バッグの中に本がない、朝。

バッグの中に本がない朝。今日一日、心もとない。

ゴールデンウィーク最終日の昨日、小説のネタ集めのために友人ふたりにインタビューさせてもらった。事実は小説よりも奇なりとはよく表されたもので、主人公にリアルなエッセンスが欲しくて、一部をかいつまんで書くつもりだったのに、この人たち一人一人がやはり主人公なんだ、私の妄想を織り交ぜない方がよっぽど面白いと率直な感想を持った。

もとをたどれば、この友人2名と私を含む女子8人でダンスチームを結成し、わずか3ヶ月足らず計5回の練習だけで長崎県壱岐市に名古屋から海を渡ってB’z級のステージに上がったなんて、この3行だけでも現実味のない話がまた事実なのであるから。

大きな舞台を終えただけで相手のことを知ったような気になっていたけれど、30年以上まったく接点がなかった私たちには知らない過去の方がもちろん多かった。

かわいくてモテて、ちょっぴりナイーブなあの子の最初の女の敵は母だったこと、保育士歴20年以上の包み込むような目で私たちを見てくれる彼女が実は親からの期待に今でも押しつぶされそうになることなんて、小説以上に面白い。

これはリアルだ。

私が書きたいのも真実だ。

ただ、リアルをリアルにそのまま書いても私が面白くない。私が小説を書く面白さは本当にあるエピソードなのに表にでてこなかったものを書く(後はご想像にお任せして)ところにある。読者は自分の話みたいだと心を動かす。

親の期待なのか、自分の本心なのか未だにわからなくなるときがあると語った保育士の友人は、さらに続けた。

「自分以外の何かに答えを求めている。だから本を読んだり、お母さんの顔色をみたり、ずっとしている」

朝、電車を待つホームでカバンの中に本がなくて心もとなくなった私とおなじ。私も自分で考えたくないから本に頼る。何かあれば、これさえ開けばいいんだからと。

でも私の書く小説は、誰かの答えにはしたくない。常に問題提起だ。これは誰なのか、あなたの話なのか、あなたの家族の話なのか、自分に問うことでしか本当の生きる意味を感じられない私たちは、めんどくさくてもそうするしかない。

本を忘れたことと、友人の言葉がつながり、私が小説を書く意味を右手の親指からはじき出す。

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