年賀状に子どもの写真なんてゼッタイにいや! だった私の末路。

「自分の名前で出す年賀状に、子どもだけの写真なんて、頭おかしい! 私はゼッタイにそんなことせんよ!」

独身の頃から、結婚して数年経っても年賀状の写真に堂々と子どもを使う人を軽蔑していた。

約10年前、福岡の居酒屋のカウンターでビールの大ジョッキを片手に、数少なくなった独身の友人に息巻いていた痛すぎる自分のことは、これからもこの時期になると思い出すんだろう。

ごめんなさい、の気持ちとともに。

今年の森中家の年賀状はこれです。

ほんま、ごめんなさい……。

(誰にあやまっとんねん! まずは何も言わずに苦笑いしれてくれた、あの時の友人にですかね……)

「そして、バトンは渡された」の一節に、「愛する対象があるのは幸せなこと」とあります。そうなんだ、そうなんだよ。生活のリズムも、頭の中も、残したい写真は今、ぜんぶ子どもなんだ。

はじめて産んだ長女を抱き、産院の部屋の前で記念写真を撮りながら、笑顔の裏でもう二度とこの痛みは経験したくないと思った。それなのに、4年後にまた子どもを作った。言ったことをコロコロ変えるウソツキな私の願いでも神さまは聞いてくれて、陣痛ではなく帝王切開の痛みになった(帝王切開は痛くないと思っていた半年前までの私からもごめんなさいと言っておこう。やから誰にやって……)

明日、次女がこの世に誕生します。

こんなにも、準備万端の出産ってあるんだなあと感動しています。産科の先生、助産師さんだけでなく、看護師さん、麻酔科の先生、脳外科の先生、家族以外のサポートしてくれる人たちに囲まれての出産。

コロナ対策で年末から半強制入院だったため、年末年始、早朝、深夜問わず仕事をしている人がいること、数時間おきに私の体調を気づかってもらえて、時間になったら、温かくて冷たくておいしいごはんが出てくる環境。それまでにどれだけの人が関わっているんだろうと想像できる私になりました。

人間に産まれたワケは「経験するため」だとしみじみ感じる。赤ちゃんが水頭症にならなければ、こんな安心感も、ありがたさも感じられなかった。赤ちゃんの症状が判明した3ヶ月前は、いつも通りさらっと笑う娘を見て「不安や……」と号泣し、夫に背中をさすってもらった。

それが今は神の心境に達した気分で、「下から産むのも、帝王切開もどっちも経験できるなんて」と夫に言ったら、「よくそんなにポジティブに考えられるね」と返ってきた。私の体が傷つくことを恐れる夫はそう言うのだけど、本当にそうなんだもん。これから、どちらの立場にもなって発言できるって、ありがたすぎるよ。

子どもの写真を年賀状にする人の気持ちも、子どもができたから私は認められた。

私の人生のテーマは誰のことも否定しない、もちろん自分も、なので、そのためにこれからもたくさん経験していきます。

運良く、2021年は運気最高潮らしいので、気持ちを出すこともめんどくさがらず、私なりのやり方で生きて、書いていこうと思います。

新年の抱負とあした出産のご報告。