私を救ったメンターに言いたいことがある。けっして「ありがとう」ではない。

メンターという言葉は知らなかった。彼女が教えてくれた。

彼女は私に知らない言葉をいつも教えてくれる。二人だけのおそろいのチェーンを彼女の家で作ったときもそうだった。「ライオンはガーディアンだから、あみあみにはいるでしょ、それ、わたしだから」と言っていた。

メンターもガーディアンもそう。道筋を照らしてくれたり、自分の盾になってくれる人が家族以外でいるなんて知らなかったし、知らないから見つけようともしなかった。

彼女は突然わたしの前に現れて、あなたが進みたい道はこれでしょとレッドカーペットを敷いた。彼女に出会ってからたったの2週間で私はライターデビューした。

言葉を仕事にしている私が、ほんとうにまったく知らない言葉に会ったとき2種類の気持ちがわく。ひとつは「ふーん、そんな言葉が流行ってるんだ」知らなくてもよかった言葉に対する気持ち。

もうひとつは、「え、マジで知らなかった。なんで知らなかったんだろう、なにそれ」知らなかったことでこれまでの人生、たくさん損してきたんじゃないかと思わせる言葉。

彼女はそんなことばかりを私に言う。それをもっと早くから知っていたら、私の夢への祈りを本気でささげる彼女の横で、不甲斐ない気持ちでいなかったかもしれない。

私を有名人にしてくれたのに、道はもう見えているのに、私はレッドカーペットの先にあるたくさんのフラッシュに尻込みした。賞賛の裏にある妬みや罵声を先に想像してしまう悪いクセ。たくさんの言い訳をして元の職場に戻った。

「ふがいない」

彼女が今の私を見たらどう思うだろう、こんな投稿をしたら喜ぶかな、メンターを喜ばせたくて悲しませたくなくて、私はもっとがんばろうとした。そんなこと求められていないのに、彼女の誕生日プレゼントに10万円のデジカメを送ろうとした。でも彼女は受け取らなかった。そのお金で自分が欲しいものを買いなよと言った。

自分が欲しいものなんてないと私は強気で返した。今はないだけ、タイミングがくれば買う。だけどそれは高価なものをあげることで価値のない自分を認めてほしいだけだった。怖さに飛び込めない自分へのみじめな埋めあわせ。

それを彼女は見抜いた。さすがメンター。なんか余計にみじめになった。それから約2週間がたつ。仕事に復帰して前とおなじ生活が始まった。娘を保育園に迎えにいくために2時間はやく退社するだけで、やってる仕事は変わらない。

「何やってんだろ」

こんな気持ちじゃ彼女に合わせる顔がない。意識が変わったとはいえ、どうしても昔の感覚にのまれてしまう。ダメだ、イヤだ、戻りたくない。毎晩、見えない何かに抵抗しながら目を閉じた。

「辞表を書こう」

突然、思った。昨日から熱が続いて寝苦しそうにする娘の横で本を読んでいて、わき上がる気持ちを抑えられなかった。もう言い訳できないところまできた感じ。

とりあえずでもいい。書こう。期限を決めよう。そうすれば、今の仕事を悔いなく終わらせて、次に向かう準備ができる。今のままじゃ、いつくるかわからない。自分の欲しいものすらわからなくなっているんだから。

笑顔の彼女が見えた。フェイスブックを開くと、「本音で生きるって怖い」と彼女がブログを書いていた。どうやら、彼女ももがいていたらしい。勇気を出してそこから抜け出した豪快なエピソードを読んで、笑えてる自分がうれしかった。

私たちはよく姉妹に間違われる。ぜんぜん似ていないのにフシギだ。彼女はイヤがる。私はそんな彼女を見るとちょっと悲しくなる。やっぱりまだ私じゃダメなんだね、て思うから。でも、そう思っているのは彼女じゃなくて私自身。

やっぱりって思うために進まないんじゃなくて、やっぱりできたって思うために進もう。怖いことも、やらなきゃずっと怖いまま。

あぁ、今やっと気分が変わったよ。ありがとう、マイメンター。やっぱり私たちはつながってる。来月、会う約束してるよね。

その時言うね、「わたし、決めたから」って。

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