好きなことしたら嫌われるから。前編

さて、と。

美容院からでて優雅な気持ちで時計を見たら2時53分。やば。いきなり現実。「ごめん! あと1時間だけ待って!」夫にメッセージする。

休日なので娘は昼から夫に預け、遅くとも3時には帰ると伝えていた。だけど、私はこの後どうしても買わなければいけないものがある。夫にはナイショで。

来月、ライターとして写真撮影をしてもらうことになっている。フルメイクの他に撮った写真全データがもらえるだけでなく、撮影前からイメージの相談、SNSを見た印象から改善点などを担当者と話し合える。

すべてプロにお任せではなく、「私はこうしたい」という意志があってこそプロが活きてくると最近、感じている。私も仕事を受ける中で強い思いやイメージをうまく形にできないからプロのあなたにお願いしたいと言われる仕事にやりがいを感じる。いいものもできる。

だから今回も撮影前にできることは妥協なくやりたくて髪型、衣装準備の日が今日だった。まず、子どもを言い訳にしていた美容院に半年ぶりに行き、「イメージは椎名林檎です」と恥ずかしくも伝え、3週間後にベストになるよう1日に0.03ミリ伸びるという髪の長さをミリ単位で調整してもらった。

髪を切った直後はテンションが上がって服が買いたくなる。いつもは衝動買いだからとガマンしていたが、今日は撮影という大義名分がある。

友人と相談してオーソドックスなシャツがベストだろうと、白シャツを探すつもりだった。烏丸駅から徒歩5分ほどの美容院をでたらそこは観光客と買い物客が行き交う四条通り。左に行けばいつもの大丸、右に行けばひさしぶりの高島屋。残り時間と気分で決めようと思っていた。

美容院では話が盛り上がり、時計を見ずにいた。仕上がりにも満足し、先月買ったばかりの白いコートを着せてもらい、撮影当日のセットの予約をして店をでた。螺旋状のビルの階段を女優気分でおりる。カツカツカツ。受付の女の子が深々と頭を下げるのを見届けて表に出る。暗い照明に目が慣れていたせいで、急にまぶしくなる。キラキラの通行人たちが私のファンのような錯覚。ゆったりと左手首に目をやると帰宅予定時間の7分前だった。

目が覚めた気分で夫にメッセージをした後、良さげな店に片っ端から入り試着を繰り返す。時間に追われているのでムダなものは見ない。妥協もしたくないから判断は早い。6件を40分くらいでまわったが、どれもしっくりこない。夫からの返事はない。メッセージもまだ見ていないようだ。

もしかしたら娘といっしょに寝ているかもしれない。今日を逃せば一人で買い物できる日はもうない。ピンチをチャンスにしようと思った。ちょうどシャツの相談をしていた友人からメッセージもきていたので、「今から高島屋のフォクシーにいく」と返した。

昔から好きで結婚式用の黒スカートと結納の時にベージュのワンピースを買ったことがある。ワンピースを買うときからまだ結婚もしていないのに、こんなに高価なものを買うなんて、と夫に対する申し訳なさを母に相談したら「結婚したら本当に買えなくなるんだから」と言われたことを思い出した。

友人からはシャツなんて置いてあるのかと返事がきたが、なぜか心は決まっていた。もしかしたら私は始めからここに行くつもりでいたのかもしれない。

2分後に高島屋の階段を上る。エスカレーターですら待てなかった。ムダに歩き回らないように店員さんに場所を確認して向かう。途中、独身時代に通ったショップがあったのでのぞいたけれど、そこに置いてあるシャツはすでに持っているもので惹かれなかった。やっぱり行くしかないんだ。

5年ぶりの入口が見えてくる。マネキンが白いシャツを着ていた。品のある「いらっしゃいませ」に軽く会釈して店内へ。ちょうど目線の先にゆれる白いシャツ。手に取り、「あったぁ……はぁ」と息を切らしながらつぶやく。「外に着せてあるのと同じものです。シルクです」と少し笑いながら店員さんが寄ってきた。

パールのように白く光るボタン。さりげないパフスリーブの袖。言うことない。買う。値札は見なかった。見たら負けのような気がした。いや、たぶん負けると思ったから見なかった。

「買います。試着してもいいですか」と宣言して大きな鏡の前でスルッと袖を通す。イメージ通り。シルクの肌触り。直感はまちがってなかった。腰のあたりにぶら下がっている値札の数字が予想の倍でひるんだけれど、脳内でイケとハチマキした兵隊たちが待ての軍隊に勝った。戦いは一瞬でおわった。

試着室をでて店員さんとあれやこれやと話す。買うことは決まっているのに、この時間がたまらない。私は今、ここにいる。こんなことをしている。

シャツがうやうやしく包まれるのを待つ。やってしまった。ついに冠婚葬祭でもなんでもない時に手を出してしまった。勇敢な自分をたくましく感じながら、返事のない夫にはぜったいにバレてはいけないと思った。夫のことを考えると、フォクシーの紙袋が罪悪感のかたまりに見えた。

「おばあちゃんになっても着ればいいんだから」友人にメッセージしたら、貧乏くさい言い訳だとたしなめられた。だけど、これなら本当に着たいと思った。ホンモノって、そういうものだから。私はプロなんだから、カリスマライターなんだからとナゾの言い聞かせをする。家に帰り着くのは17時前だろう。夫からは返事もない。きっと寝ているはず。

休日で混み合う電車に一人揺られ、オシャレしてブランドの紙袋を提げ、キラキラの派手なスマホをニヤケながらポチポチする。斜め前に座る親子と目が合う。嫌味なヤツだと思われてるのかな。けれど気にしない。妬みは憧れの裏返しだから。

寝ているだろうと油断して家のドアを開けた瞬間、娘の泣き声が聞こえた。女優気分が一気に冷める。急いでコートと紙袋をクローゼットに隠しリビングに向かう。娘を抱っこした夫が振り返って、「あぁ、びっくりした」といつも通り言った。

「ごめんね。ライン見なかったの? ずっと起きてたの?」「ああ、そう。携帯は音が出ないようにしてるしね、なんかあれば電話あるやろと思って」「でも3時まわっても帰ってこなかったらフツー見るでしょ」「まあね、どうしたんかなとは思ってたけど」「ごめん、ごめん、ちょっと時間まちがえてて」

核心を突かない会話がつづく。12時に予約していた美容院からどれだけかかっても5時間はないだろ。だけど夫はさいごまで、何してたの? とは聞かなかった。申し訳なさが増してくる。しかも、私とバトンタッチで床屋に行く予定だったのに、それも間に合わなくなってしまった。

「ねぇ、なんで聞かないの?」たまらなくなって自分から言ってしまう。私の目を見ずに夫が答える。「言っても意味ないと思って」「どゆこと?」「何かしらあったんやろと思ってるから」罪悪感は爆発寸前だった。

買ったことに後悔はない。だけど、夫に言わないままだということに耐えられなかった。「シャツ買ってたんだよ、今度、写真撮ってもらうでしょ」「あぁ、そうか」理由なんてどうでも良さそうな返事だった。「私が浮気してもぜったいに疑わなさそうだね」着地点のわからないナゾの発言をする。

ははは。乾いた笑い。もうこれ以上、この話をすることはないだろう。シャツの値段も聞かれないはずだ。だけど、私はぜんぜん落ち着かなかった。明日また、夫にナイショのままやろうとしていることがもう一つあったのだった。

つづく。

テーマソング:キラーチューンby東京事変(椎名林檎)

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