そんなオトナになりたくないと思っていた大人になっていた。

受け身は疲れる。

かといって、攻めてばかりでも人の目が気になる。だが、そもそも受け身も人目を気にしての結果なのだから、どちらにしても気にしているのだ。

受け身が疲れるのは、相手の出方次第でこちらの出方を変えねばならず、正直な気持ちをなかったことにしなければいけない。

それが疲れの原因。

疲れ知らずと言われる子どもは、それがないからか。子どもだって気にしているとは思うが。何も考えてないのだとバカにしてはいけないと思う。

私はいつもすぐにどちらかに振り切れることで答えを出そうとするが、よく考えたら100%受け身、その反対で生きていくことなどできない。振り切れているように見える人を、これまでリスペクトし、そうではない自分に対して、人にわからないようにダメ出しをしてきた。

だが、今これを書いていて、臨機応変にこなしつつ、自信を失わない生き方をしたいと思っている。なぜだろう。もうすぐ40歳だから、そろそろ、いい意味で諦められるようになったのだろうか。

漢字を漢字に変換するのは、あまり好きではないけれど、これは明らめと言える。

前回、フツーであることが特別なんだと書いたのも、この流れに沿っている。若い私が今の私と対話したら、「なんてつまらないオトナになっているんだ」と言うだろう。口には出さないけれど、親のことをそう思っているように。

健康で、病気もなく、親、きょうだい、家族も健在、互いに迷惑をかけずに、生きている。そんなの当たり前だ、そんなことに満足しているようじゃ、大物にはなれない、金持ちはもっと大きなビジョンに向かってリスクを負うんだ、と思うのは、普通の幸せしか描けない親、その親に育てられた私、同じ価値観を持つ結婚相手を否定しているようで心苦しかった。

口に出せない本音だった。

人とは違う、フツーじゃない。そう思いたかった。

だけど、だけど。

今、私はフツーの幸せをかみしめたい。普通をフツーだと、カンタンに片付けたくない。

そんなオトナを軽蔑していたのに、そんな大人になれた自分を今、大好きでいる。