お母さんへ。
もうすぐ母の日です。あらためて、お手紙です。
まずは、今までぜんぶ、ありがとう。ひとつずつは書けないので、ぜんぶってことになっちゃうけど、ほんとうにぜんぶありがとう。
笑顔が多かったように思います。うちの家族は。だから、あえて悲しいことや辛いことはなかったことにしてしまう雰囲気もあるよね。
お母さんは家族みんなのことを心配して、自分のことは後回しで、ツライ気持ちを見せないようにしてくれたよね。ありがとう。
でもね、あらためてね、私もけっこう大人になりました。だから、本音というか触れてこなかったお母さんと私の思い出について、話したくて。
責めるつもりはないけれど、ちょっとそんな風になってしまったらごめんなさい。結局、お母さんに気持ちをぶつけてるだけなのかもしれないけれど、ちょっと書いてみたくて。
よかったら、、、読んでください。
あのね、私は「長女になること」を選んで産まれてきたのかもしれないって思ってる。きょうだいの誰よりも一番長くお母さんといっしょに過ごせるから。
一番ってね、私の人生の大切なキーワードみたいなんよ。
びっくりやろ?
私、ずっと、ずーっと、こう思ってきたもん。私が一番になったら誰かを悲しませて傷つける。だから自信がないふりをして、いつも自分以外の何かに答えを求めてた。
きっかけはね、たぶん、お母さんよ。一家の初孫として生まれた私はおじいちゃんやおばあちゃんがわかりやすく一番として扱ってくれたよね。お年玉の額もプレゼントも、いろんなお祝いもぜんぶ私が一番多かった。
お母さんは弟や妹がかわいそうって言った。私は申し訳なくて悲しくて、「私は一番になっちゃダメだ」って思ったっちゃん。それが始まり。
でもね、学校の先生はね、一番に近づこうとしてがんばったら褒めてくれるけん、なんかわからんくなってさ。どっちなん? って。
一番になりたいけど、お母さんは喜ばんのかもしれん。だけど、やらないかんけん、勉強もした、足も早かった。よくできたんよ、私。そのまま深く考えずに突っ走ればよかったのに、あと一歩のところでスピードをゆるめるもんね、私って。競争心がないんよ、てお母さんに言われた気がする。長女やから、誰とも競う必要ないもんねって思ったよ。
小学校6年生のとき、持久走大会あったやん。最後だからってお母さんも見に来てくれたやろ。先生が周回案内を間違えて6周走らなきゃいけないのに、5周でラストスパートをかけることになった。
私は4周目あたりからずっと二番につけていて、一番になれる自信があった。でも、1年生の頃からずっと一番だった隣のクラスの女の子を蹴落として、私がはじめて一番になることは許されないって思ったっちゃん。
ほんとは、かなり差をつけて走り抜けられたんだ。だけど怖かった。後からクラスの子に「なんであいつが」って言われる気がした。本気で走りだしたときはもう遅くて追い抜けなかった。
悔しかった。あれから26年も経っているのにまだ悔しがっとるんよ。おかしかろ? 私、競争心、めっちゃあるんよ!笑笑
やけんね、もう隠さんよ。わたし、いちばんになるよ。
ずっと言い訳してきた。狭い世界で一番になっても意味ない。一番になったって、いつか足を引っ張られる。外の世界にはもっとすごい人がいる。こんなことで自慢するなんて恥さらしだって。
なんか変やろ? 誰に言ってるのかなって思ったら、お母さんに言ってたんよ。私は優しくて、みんなのこと考えられるけん一番にならんよ、競争心ないけんね、みんなが勝手に褒めるだけよ、それでいいやろ? って。おかしなことだらけ。
ねぇ、おじいちゃんやおばあちゃんが私と他のきょうだいを比べてたとしても、お母さんはそうしなければいいだけやったんやないんかな?
なんで、かわいそうって、私に言ったん? 聞きたくなかったよ。悪いことって思ってしまったからね。被害妄想かもしれんけど。
お母さんも、かわいそうだと思いたかったんやないと? 私がかわいがってもらえてうれしいって思えなかったのは、なんで? お母さんも何かに「ごめんなさい」って思っとったんやない?
私はずっとお母さんに「一番になってごめんなさい」って思ってきたよ。でも、もうやめる。だって、わたし、いちばんやもん。何があっても。誰かに謝るのって変やもん。おかしいもん。よくわからんもん。
そう生きるって決めたけん。やっぱり、決意表明みたいになったね。いつも気持ちぶつけるだけでごめんねって、また謝っとるね。
またね、元気でね。
あみ。
2019年5月9日17時29分