「がんばらない」
文字では何度も読んだことあったし、そうだよね、肩に力入りすぎちゃダメだよねってわかってるつもりでいたけれど。
半年前まで約10ヵ月、月に1度のコーチングのときも、「肩の力が抜けた人になりたい」ってずっと言ってた。たとえば、お笑いのなるみさん、黒柳徹子さんはずっと好きで会いたい人だし、
私の夢は、黒柳徹子さんです! なぜなら、いつも・・・・・・!
特にお笑い芸人さんたちはほんとに好きだな、尊敬するなっていつも見るたびに思ってる。あんな風に生きたいって。
あんな風っていうのは、なんていうのかな、自分をよく見せようとしてないっていうか、バカっぽく見せて笑わせる? ちがうな、人が言えないことを言ってスカッとさせる。嫌われることを恐れてない。
嫌われることが怖かったんだ、わたし。だから、お母さんに好かれたくて、ほめてほしくて、子どもの頃からこんなだった。
お母さんのことを批判したいわけじゃない。お母さんに好かれるのはこの方法しかないって思ったのは私だから。自分が悪口を言いたいのか、好かれたくて言ってるのかわからなくて、こんな書き方になっちゃったけど。
それでね、3日前にこんなことがあってね、
こんなものを書いたりしてね、売ったりしてたら、
「がんばらない」のがすごく気持ちよく思えてきて。
なぜだろう。なぜだろう。どうしてだろう。理由は考えなくてもいいのかもしれないけれど、今こうやってここに書きたいから、どうしても理由付けみたいになってしまうけれど、
がんばろうとしてたのは嫌われたくなかったからで、肩の力を抜きたかったのは好かれたかったからなんだなって、思ってる、今。
嫌われたくなくて、好かれたい。
どうにもこうにもがんじがらめだよね。
何もできないよね、そりゃ。
笑×10000000000000000000000000000000
自分の価値を上げるために、価値のない自分を価値のあるように見せるために35年くらいがんばってきたけれど、どうにもこんがらがったところで、「がんばるのは自分の存在価値を下げること」っていうのを信じてみて、頭の中に「がんばらない」ハチマキを付けてみたらさ、
なんかこんなに書けるんだよね。

やっぱ、書きたいんだよね。
嫌われないようにしても書けなかったし、好かれるようにしても書けなかった。
がんばらない、読んでもらえるとか意識しすぎないって体感しはじめたら、書きたくなった。どうにもこうにも書きたい。
私が書くワケは、ふと思ったことを、忘れないように。
それだけ。
今、この瞬間をおさめておける気がするから。
自分を大切にできてる気がするんだよね、書いてると。
書いてたらわかってくることもあって。つじつまを合わせるつもりなくても、過去とか未来とか今がどんどんつながってくる。
あの出会いや忘れたいくらいのできごとも、こんな意味があったんだって思いたい。自分が経験して、感じたことを否定したくない。それが私にとっての書くこと。
あらためて。
がんばらなくてもいいけど、やりたいこと。
あらためて、ここに宣言。
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