方程式なんて大キライな私が、人生の答えを方程式で出してみた

占いが好きすぎる。

 

細木数子にもハマったし、鬼谷算命学はバイブル本。今は絶賛、しいたけ占いに助けられている。

 

高2のとき、迷わず文系コースを選んだのは数学が苦手なのが理由だったけど、今思えば、方程式で答えを出すよりも、国語や占いみたいによくわからないけど、なんとなく「そんな気がする」答えがすきだからなんだろう。

 

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夫は正反対の理系男子で、マニュアルとか物の位置とか、答えは一つしかない。たった今も、冷蔵庫に半年も放置されている沖縄みやげのラフテーの答えは、「いつか、ふたりで食べる」だったのに、「急に酒のつまみが欲しくなって、食べちゃった!」という私の答えは、あり得なさすぎて、目に涙をためている。

 

私はとにかく決められた答えが大キライだ。「今はこう」であるものは、「わたし風」に変えたい。だけど、そのわたし風を、人にはっきり説明できるほど分析できているわけでもなく、とりあえず、今のままじゃダメな気がする。それくらいだ。それでいい。私にはわかっているから。

 

だから、占いは私の気持ちのように説明がつかないものを、「今週の天秤座はこうです!」とか「今のあなたはこうするといいです!」と、私の代わりに代弁してくれるから好きだ。他にも、たとえばテレビを見ていて、「わたし風」にぴったりな女優さんを見つけると釘付けになる。この世に実在する人間が、私の生きたいように生きている。そうして今度は、「あの人みたいになりたい」と占いと同じくらい、彼女を崇拝するようになる。

 

これは一歩まちがえば宗教である。そんな、いつも定まらなくて、危うい気持ちを持っている私が今ハマっているものは、定められた文字数で、定められた方程式に当てはめて書くことだ。なんとも変な話。

 

もうすぐ深夜1時だというのに、ビール片手にこれを書いている。缶ビールの横には、ストップウォッチ。なるべく手をとめずに勢いで書くほうが良いから。

 

4ヶ月かけてライティングゼミに通った。通信で月2回の講義と毎週2000字の自由課題。最初の一ヶ月半くらいは、内容は理解しているつもりなのに課題で落ちまくった。落とされる理由が理解できなくて、落ち込んだ。

 

どうやら採点者は、私の文章が方程式に当てはまるかどうか見ているようだった。方程式にハマれば、いつだって読む人を楽しませるものが書けるらしい。つまり、方程式にハマらない、おまえの文章はつまらないと。

 

なんだ、それ。そもそも書くなんて、自己流でいいじゃない。それこそ、わたし風を見せつけるときだ。方程式から答えが出せるなんて思えない。けれど、せっかくの授業料がもったいないから、やれるだけやろうと決めた。試行錯誤を2ヶ月くらいやっていたら、ふっとOKがもらえるようになった。どうやらハマってきたようだ。

 

汚いところ、弱さをさらけ出したら、なんだかいいみたい。うん、まぁ気持ちいいじゃん。フシギだ。書けば書くほど、方程式は私の中に染みついた。もう私の中にあるのがわかる。2ヶ月前の私には戻れない。短い間に、そんなところまで来てしまった気がする。

 

方程式を覚えるのも悪くないと思った。なぜなら、一度覚えてしまえばずっと使えるし、良いものなら自分だけじゃなくて、他の人にも使える。

 

これまで、ただなんとなく「変えたい」「なんか違う」「伝わらない」と思っていたことも、はじめて覚えた「書く方程式」を使えば、毎回答えが出る。そして、伝わる。人生はすべて、こうやって方程式に当てはめられるものなのかもしれない。そういえば占いだって、統計学だ。

 

なんだか、今なら、わたし、超難関な数式も解けそうな気がする。

 

 

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