タイムマシンに乗れるなら、過去じゃなくて未来の誕生日に行きたい。

タイムマシン画像

「あ、そうか誕生日か」

 

1週間前も3日前もそう思った。昔、おばあちゃんが「もう誕生日なんて忘れたよ」と言っていて、ちょっとさみしくなったけれど、自分の誕生日を忘れることは幸せなことなんだとはじめて気づいた。

9月26日の自分の誕生日よりも、10月10日の娘の1歳の誕生日のほうが気になって、部屋のデコレーションはどうしようか、義理のお父さんとお母さんへのおもてなしはどうしようか、しっかり写真を残しておかなきゃとそればかり考えていたら、自分の37回目の誕生日を本当に気にしなくなっていた。

 

去年までは9月に入ると、きた! と思って、そこからカウントダウンが始まった。待ち遠しいような、来てほしくないような。自分で自分の誕生日を祝うことを諦めたといったら、さみしいけれど、今年はそれよりも楽しいことのほうが待っている気がした。育児休暇を言い訳にイベントに行ったり、ランチを奮発したり、好きにお金を使っているから、「本当にプレゼントはいらないよ」と言ってたのに、夫が仕事帰りにケーキとプレゼントを買ってきてくれた。

 

そういえば母も毎年、自分の誕生日には「何もいらないよ」と言っていて、あれは子どもたちに気を使っているだけだと思っていたけれど、本当にいらないって思えるもんなんだな、と感じた。そんな気持ちのときに、サプライズでもらえるお祝いは、何よりもありがたくて、このありがたさを必死で伝えようと、プレゼントを選んだ経緯をくわしく聞いてみたり、チョイスしてくれたものはすばらしくいいものだと褒め称えたり、ケーキを食べながらおいしいを連発したりするうちに、こうやって誰かに喜んでもらおうと必死に考えることが幸せなのかも、と当たり前のことを思い出したりする誕生日だった。

 

誕生日って、もしかしたら自分のためじゃなくて家族のためにあるものなのかもな、と思った。プレゼントはいらないと言っていた母に選んで渡したバッグを今でも使ってくれているのを見るとうれしいし、おこづかいの中で一生懸命探し回った記憶も懐かしい。これからは娘や夫のために長く生きたいと思う。何回も誕生日を迎えたい。年をとってしまったことを後悔するんじゃなくて、ここまで生きてこれたありがたさと来年も誕生日を迎えるぞ! の気合いの日にしたいと思う。

 

あらためて37年の時間を考えると、すごく長い時間を使ってきたはずなのに、まだまだ自信はなくて、何も成し遂げられていない気がするけれど、もしもこれまでの36回分の誕生日を自分のためじゃなくて、誰か他の人のためにと思えていたら違っていたのかもしれない。

過去は変えられないけれど、もしもタイムマシンがあるなら、未来の自分に会いに行って、「あんたが37歳のときに思ったこと、忘れてないか?」って念押したい。

 

自分、自分って、思っているときは未来は暗かったけれど、あの人やこの人がいつかこうなるって思えたら、明るい。来年もそんな誕生日を迎えたいと思います。

 

 

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